お別れホスピタル観ています。
若いころはこういうのは観る気がしなかったのですが
いよいよ両親も痴ほうなどが入り始め、身につまされるようになったからでしょう。
「お別れホスピタル」老いゆく両親を思いながら観ているわたし50代
どんな風に最後を迎えるのか覚悟しておきたいという気持ちもあります。
しっかりしてた父の記憶が曖昧になり、話すこともピンと来なくなり始めた。
母の方が少し若いのですが
認知症が入っていて 父は年上なのですがまだまだ元気。
ですが最近話すことも理解しにくいようで要領を得なくなってきました。
しっかりしていた父にも痴呆が入り始めたのかもしれません。
わたしは新宅で育ったので人が年老いていく姿をまじかで見たことが
ありませんでしたし、父が次男で家には年寄りがおらず、両親自身が「人が年老いてく」様子を知らないようでした。
母がよく「お義父さんの世話をした」と言っていましたが
父に言わせたらほんのたまに病院へ見舞いに行く程度だったそう・・
(それを伯母ちゃんが聞いたら激怒するだろうレベル。)
結局は親を見るのは同居の家族、又は近くの家族ということになりますよね。
わたしも・・母の介護生活がいよいよ始まりそうです。
前回の番組は
肝臓がん末期の夫と同じ病室に介護疲れで入院した久田さん妻。長年連れ添った妻は、「おい」ですべてがわかる。でも最後にずっと旦那さんの言葉に囚われ、旦那さんの世話ばかりしてきたじぶんに決別しようと一大決心をする。
奥さんのいまわの際に旦那さんの耳元で囁いた言葉、すごかった・・・
毒親でも両親が介護状態になったら子どもがみるという地獄
わたしはなんだか気持ちがわかってしまった。
圧倒的権力を持つご主人に気ばかり使ってきた奥さまは
何十年と母に気を遣ってきたわたしと重なるところがありました。
それゆえ、わたしは10年以上前に母が外科手術で入院した時に、
1度しかお見舞いに行かなかったのです。(近くの病院でまだコロナも無かった)
大嫌いで〇ねばいいとさえ思っていた母親でした。
何もかも否定してエラそうにわたしをアゴで使う母。自己愛の塊の母。
頼まれてもギリギリまでお見舞いに行かず、どうしても届け物があり行った覚えがあります。ほんとうにほんとうに嫌だった。
行った時にはほぼ、一言くらいしか話さなかった。
隣のベッドのオバちゃんが
「〇サン良かったね娘さん来てくれたね」
って言ったのをムカつきながら聞いていました。
周りにはなんて冷たい娘だとうつったことでしょう。
母がなんと説明してたのか、娘の人権さえ踏みにじって生きてきたくせに・・
(シマッタ当時の気持ちよみがえってきた)
ハタから見るだけでは測れないものってあるんですよね。
関連インスタをUPしたのでご覧ください。
まとめ「お別れホスピタル」老いゆく両親を思いながら観ているわたし50代が思ったこと
話は大きくそれましたが・・今でもつくづく思うのは毒親から卒業して
呪いから解放されて良かったということ。
まだ呪いの中にいる人は絶対に親の介護が必要になる前にぜひ解放されててほしいです。
今のわたしはおだやかに母を見れています。
人が死ぬ間際にはもしかしたらすごく手がかかって大好きな人でも憎むようになってるかもしれないけれど じぶんが後悔しないようにしたいなと思います。
長々と言いたいことだけ書きました。
それでは。
毒親から自力で解放されました。
まだの方は是非読んでみてください。