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毒親から卒業してしあわせになる

母を思い出す、ご近所さんの死——変わり者すぎた実母との記憶

昨年の5月に母が他界しました。
それからバタバタとご近所の方がご高齢で亡くなられ、
母のことを考えることがあります。

母を思い出す、ご近所さんの死——変わり者すぎた実母との記憶

最初から色眼鏡で見ていた

わたしは子どもですから親の言うことが正しい
かなりの大人になるまで思っていましたよ。

今回亡くなられた方Tさんも母にとっては嫌いな人種でした。

なのでわたしもかなり長い間、好きじゃありませんでした。
母が目の敵にしていたから。


ただ父とは仲良くしてたのです。
父とTさんの旦那さんは同級生でずっと仲良かったこともあり、
ご主人が亡くなってからも近所だということで
なにかと父は気遣っていました。

そこがまた母が彼女を嫌う理由の1つでもありました。

母と父も相当仲悪かったけどさ・・💦

実母はほんとうに変わった人だった

父が少し前にTさんがデイサービスへ楽しんで行っていることを聞いて
要介護1の母のことを尋ねたら

Tさん

あなたの奥さんは
難しいと思うよ。
他人と仲良くできない人だから

と言われたと言います。

それを聞いてわたしも父もやっぱりな・・と話しました。

わたしもそれは思っていたけど近所の人もそう思うくらい

あの性格、誰にでもむき出しだったんだ・・・と改めて驚きました。

母がデイサービスを拒否!困った 母親が介護認定を受けてどんどん毎日「フツー」じゃなくなっていくのをみてるのはつらいですね。 今回は母親がデイサー...

ここ数年で相手の見え方が変わった

わたしはいつまでも母の影響でTさんを毛嫌いしていて
話しかけられてもあまり優しくできなかったのですが
(冷たくもしていないけど、心からは優しく向き合えなかった)

わたしが数年前に班長をしていた時に
お疲れさまと孫にお菓子を下さったり声掛けを貰ったんです。

始めは

なにか裏があるんじゃないか? 

なんて思ったりしたのですが 

わたしの信頼してる人がTさんの良い噂話をしてるのを聞いて

えっ? 

もしかしてTさんてわたしが思っていたような人ではないのかも・・・

と思うようになりました。

ここ数年の話です。

母が亡くなって

母が亡くなってすぐ弔いにも来られ寂しがっておられました。

その後、外出先で娘さんとTさんが親子水入らずで
仲良く買い物されてるところで遭遇。(娘さんは幼なじみです)

Tさんも娘さんも母のことを寂しがって下さり、

ことりんご

いいね、親子で仲良くお買い物。
羨ましいよ。

と話しました。

わたしはもう母と買い物へ行くことができないんだ・・・

ということもありましたが心の中では

「親子が仲良いのがとても羨ましい」と思いました。

心底思いました。

まとめ 母を思い出す、ご近所さんの死——変わり者すぎた実母との記憶



だって生きていてもあの母と仲良く買い物へ2人で行ったことなんてあったでしょうか。。

そしてつくづく母は変わった人だったんだと再認識。

毒親と言う前に誰から見ても変人だったんだ・・

自己愛マザーだったのは間違いないのですが

自己愛性パーソナリティ障害 | 日本精神医学研究センター

でもさ、その毒親のせいで子どものわたしの
他人の見方まで変えてしまうなんてひどい悪影響ですよね。

Tさんが亡くなってから

みなさん口々にいつも明るくてニコニコしてた人だった、と
話されていました。

わたしのここ最近の印象もそうです。

でもずっと違う印象だった。(心から謝りたいです、前はごめんなさいと)

つくづく毒親の影響は恐ろしいと思いました。

毒親からは回復できていたけど
まさか毒親の他人に対するイメージさえも悪影響を大きく受けていたことに
気づきませんでした。

毒親育ちの方はどうかそこも疑ってみてくださいね。

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魂を込めて書きました。毒親に悩んでいる人は読んでみて。

そしてまもなく毒親介護の本を出版します!
お楽しみにしていてください♡

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ABOUT ME
ことりんご
少しのお金で豊かに暮らしませんか。 HSP気質で毒親育ちでも、ミニマリストな生活に出会って 幸せ感が満載になりました。 じぶんらしくハッピーに生きるための情報や50代のミニマリストな生活などを発信しています。